壺阪霊験記

6月2日から行われた、国立劇場での壺阪霊験記で高取町の特産品として弊社製品も展示即売させていただきました。

歌舞伎のみかたの解説もあり、大変好評でした。

 

工場から見上げる高取山に壺阪寺があります。

創建は大宝3年(703年)に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修業していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、

感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれます。

かの清少納言も、枕草子の中で「寺は壺阪、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として筆頭に挙げています。

また権勢を誇った藤原の道長も壷阪寺に宿泊した記録も残っているそうです。

 

この壷阪寺を舞台とした歌舞伎が壺阪霊験記です。

今より三百年以上昔、座頭の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。

沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職というなんともつつましい暮らしであった。

そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれていた。というのも明けの七つ(午前四時)になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。

「もしや好きな男が…」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴える。

疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。

そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと自分の身を投げてしまうのであった。

不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまう。

しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡が起こり、沢市・お里は助かり、沢市の目が開眼した。本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がある。


沢一は衝撃を受けて目が見えるようになりましたが、衝撃を受けて目が見えるようになった事例がいくつかあります。

なんとか早く医学で解明してほしいものです。